ここではネタばれというかネタばらしとして、マンガの中で使っている元ネタについてちょっとお話しします。今回は第19話「ボビーさんの悲劇」です。
Bobby Byrd(ボビー・バード、本名ボビー・ハワード・バード)といえば、ジェームス・ブラウン氏の相方としてソウル・ファンク界隈では知られた存在。特にセックス・マシーンにおける歴史的な合いの手「ゲロンナ」の知名度は超絶なるものがあり、おそらく名前は知らぬがその合いの手ならばという御仁も多くいらっしゃるものと予想されます。
そんなボビー・バード氏はソロでもレコードを出しています。彼のソロ・キャリアの第一弾を飾る曲こそが、今回サンプリングした「I Need Help -I Can’t Do It Alone-」です。
デビュー曲のタイトルが「助けて!一人じゃできない」とは…プロデュースしたジェームス・ブラウン氏の当てつけでも受けたのでしょうか。
しかし圧倒的王者になれない永遠の名脇役って感じの立ち位置が絶妙にフィットする彼は、まさにそのパブリックイメージのまんま心優しいイイ人なのではないかと感じさせます。
ジェームス・ブラウン氏の人生を救ったボビー
ボビー・バード氏といえば、刑務所でその才能を埋もれさせてしまうところだったジェームス・ブラウン氏の身元を引き受けたという、ジェームス・ブラウン氏を語る上で避けることのできない最重要人物。
ファンクの誕生も彼なくしては無かったか、ずっと未来のことになっていたかもしれないわけで、そういう意味ではもっと祭り上げられてしかるべき…という気もするのですが、それもやはりボビー・バードらしいところですね。
ジェームス・ブラウン氏がファンクを生み出す発端となったグループ「ザ・フェイマス・フレイムス」を作ったのも、ボビー・バードです。
その初期は「フェイマス・フレイムス」・・・いや、「フレイムス」ですらありませんでした。
ジョージア州でゴスペル・スターライターズという名のコーラスグループを組んで活動していたボビー・バード氏は、刑務所の野球試合でジェームス・ブラウン氏と出会います。
当時、窃盗で逮捕されて服役していたジェームス・ブラウン氏は保釈金のあても身元引受け人もいなかったことから不当に長い獄中生活を強いられていました。
そこでボビー・バードと彼の家がジェームス・ブラウンの面倒を見ることになり、彼は保釈されたのです。まさにジェームス・ブラウン氏にとっては命の恩人と言えるでしょう。
スターライターズはその後名前を変えて変えて活動を続けますが、ジェームス・ブラウン氏の心を震わす強烈な歌声に引っ張られ、次第に彼がリーダーシップを取るようになっていきました。
そして、一刻も早くスターダムにのし上がりドサ回りの日々から抜け出すために、大きなナイトクラブでの出演契約がまとまった際に宣伝で目立つよう「フェイマス・フレイムス」にしてしまいました。
これはハッタリで、その当時は別に有名でもなんでもありませんでした。
驚くべき執念…と言いたいところですが、こうした現象は現代日本でも、しばしば目にすることができます。
発売したばかりなのに、すでに「大好評発売中」という文句を使ったりしている広告・・・見たことはありませんか。
週刊少年漫画誌でもそうです。始まったばかりの新連載が、第2話ですでに「大人気御礼・大増23ページ」などとされていたりします。
第1話が載っている号が店に並んだ時点ですでに次号の総ページ数は決まっているはずですし、第1話の読者アンケートを集計して人気を測定したあとでは間に合うはずがありません。
それをあたかも第1話が好評だったから2話を増ページしたかのように表現している。すなわち「大好評」は事実無根のハッタリです。
それと同様に「フェイマス」も、事実無根のハッタリなのです。
しかし、話を盛り上げるためにはハッタリが欠かせないということで、ジェームス・ブラウン氏はこのへんから商人(ビジネス・マン)としての頭角を現しつつあったのでしょう。
我々も「まあ、増ページされるほどの大人気ならば2話も読んでやろうではないか」と寛大な気持ちが沸き起こってきます。
ボビー・バードの選択と生き様
さて、それからもボビー・バード氏は無茶を続けるジェームス・ブラウン氏と根気強く付き合いを続けます。・・・それも、ジェームス・ブラウン氏からギャラをもらう雇われの身として。
命の恩人が、助けた相手に雇われる。けれど、それは決してネガティヴなことではなく、彼がサバイブするためには最良の選択だったのでしょう。
このサイトでも何度か書きましたが、彼らが生きた時代は今よりも黒人への差別が公然と行われており、その生活環境は極めてハード。
「手を貸してくれよ 一人じゃできないんだ」
この言葉に彼が込めた想いは、私たちの暮らしの中では想像しがたいものなのかもしれません。
そうしてジェームス・ブラウン氏のもとで働くことを選んだ彼は、ジェームスの強さに誰よりも先に気づいた慧眼の持ち主であったかもしれませんし、誰よりもジェームスの歌声に魅せられたファンだったのかもしれません。
そして、どんな傍若無人にも耐えに耐え、1973年にたもとを分かつまでジェームスと行動を共にしジェームスの王座を支えたのは、彼のたゆまぬ努力の現れということができます。
そんなボビー・バード氏、2007年にお亡くなりになりました。
どの写真を見ても、本当にいい人そうなんですよね。妻のヴィッキー・アンダーソンさんと2人で来日し、渋谷のクアトロでライブをしたこともあります。
今回はこのへんで。グッゴ!