26・27話「ファンキー社長、禁断の女装」【元ネタ解説】

読みもの

 

今日はこちらのマンガの元ネタを解説をします。

このお話ですが、実はほぼ、実話なのです。

 

ジェイムズ・ブラウンとリトル・リチャードの出会い

ロックスターの開祖ともいわれる黒人歌手リトル・リチャード(2020年5月に87歳でお亡くなりになりました)は、ジェイムズ・ブラウンと同じジョージア州で圧倒的な人気を誇っていました。

まだ下積み時代だったジェイムズ・ブラウンたちは彼の演奏を見に行き、大人数のバンド編成や奇抜な髪型に衝撃を受けつつも、そのライブに割り込んで勝手に自分たちの演奏をし、場をかっさらったのだといいます。

ジェイムズ・ブラウンの暴挙にうんざりしつつも、それをきっかけにジェイムズ・ブラウンに自分と同じエージェントと契約できるようバックアップしたのだそうです。

ジェイムズ・ブラウンたちは「フレイムス」という名前で活動していましたが、その頃にリチャードのマネージャーさんから「それはいかん。フェイマス(有名な)・フレイムスにしよう」と提案され、名前を変えました。

これが後に知られる「ジェイムズ・ブラウン・アンド・ザ・フェイマス・フレイムス」の誕生でした。

これらのエピソードからも分かるように、下積みのジェイムズ・ブラウンを世話し、成功への手引きをした恩人がリトル・リチャードだったわけです。

 

コンサートをバックレ

大人気のリチャードはいろんなレーベルからオファーを受け、その中のひとつスペシャルティと契約し、1956年に「Tutti Frutti」をリリースして大ヒット。

そのタイミングで、ずっと住んでいた南部からスペシャルティが拠点を構える西海岸ロサンゼルスまで、バンドもツアーもレコーディングも、すべてをほっぽらかしてポーンとひとっ飛びしてしまいました。

困ったマネージャーはジェイムズ・ブラウンに、リチャードの替え玉になることを提案します。

そういう流れで、ジェイムズ・ブラウンはリチャードのバンドを引き連れて替え玉ライブを敢行。当時はまだテレビも白黒であまり普及してなかったため、顔バレせずに済んだようです。

フェイマス・フレイムスのほうは、メンバーのボビー・バードが中心となってライブを続けたため、当時は少々儲かったようでした。

ジェイムズ・ブラウンの荒ぶる音楽スタイルには、この替え玉期の経験が非常に大きな影響を与えたといわれています。

 

リトル・リチャードの人物像

奇抜なヘアスタイル、衣装、そして振る舞い。

ゲイであることを公言し、ジェイムズ・ブラウンの伝記映画「ジェームス・ブラウン〜最高の魂をもつ男〜」でも、彼の台詞はいわゆるオカマっぽい感じで訳されています。

そしてリチャードに扮するジェイムズのこの写真は、ジェイムズ・ブラウンのドキュメンタリー映画「ミスター・ダイナマイト」で取り上げられていました。

リトル・リチャードに扮するジェイムズ・ブラウン

こうした背景から、マンガのネタとして「女装」という形にしたんですけど、今見るとかなり雑な考え方というか…(例えばゲイと言っても女性のように振る舞うかどうかは別だし、偏見を助長しかねない点で)我ながら、少し考えが足りないですね。

では最後に、リトル・リチャードの人気曲をもう1個紹介しておしまいにします。

1956年、スペシャルティからリリースされた「Long Tall Sally(邦題:のっぽのサリー)」です。

JAY

JAY

1984年生まれのファンク・マンガ・ライター。ソウルの帝王ジェイムズ・ブラウンを元にした「ファンキー社長」をはじめ、ファンク・ヒップホップをサンプリングした4コママンガを描き続けています。漫画アクションで「ファッキンJAYのマイルド・スタイル」を連載中。

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