1970年代後半。公民権法の制定により公民権運動ムーブメントがひとつの節目を迎えたことや、ベトナム戦争の敗北で熱気の抜けたアメリカに新たなパワーを与えたのは、かつて全盛を誇ったファンクという音楽を薄味に調理して万人に食べやすいメニューへと洗練させた、ディスコという音楽でした。
そのディスコ・シーンの中心人物の一人であるナイル・ロジャース、そして彼が率いるバンドCHICが日本の地に足を下ろしました。(まあ、わりと何度か来てるみたいなんですが・・・)
CHIC feat. ナイル・ロジャースという名義での来日公演は、同バンドの現行メンバーが集い、エンターテイメント性いっぱいのパフォーマンスでフロアを沸かせる、在りし日のディスコフィーバーを彷彿とさせるものでした。
実は私、最近ではほとんどディスコを聴いておりません。ジェームス・ブラウン氏のマッチョな汗臭いファンクに脳髄を冒されてからは、ディスコからは自ずと耳が遠ざかってしまいました。
しかし、ナイル・ロジャースは63歳とけっこういい歳でありながらバリバリのカッティング(ギターをチャカチャカ弾く奏法)を魅せてくれるとの話を聞き、こりゃあ見ておかねばと思った次第なのでした。
ナイル・ロジャースならでは!「俺の仕事」メドレー
ナイル・ロジャースはCHICとしての活動だけでなくプロデュース・ワークにおいて非常に高い評価を得ている偉人です。
そんなナイルだからこそできる「俺の仕事」メドレーは強烈でした。
ダイアナ・ロス「アイム・カミング・アウト」、デヴィット・ボウイ「レッツ・ダンス」、マドンナ「ライク・ア・ヴァージン」、デュラン・デュラン「ノトーリアス」など・・・
す、すごい! 先輩の自慢話をひたすら聞かされているようなものなのに、苦痛じゃない! むしろ快楽とさえ言えるほどなんです。
会場はみんな手拍子を鳴らして思い思いに体を揺らします。私の前列に立っていた男性などは恐らくかなりのコア・ファンなのでしょう、CHICが刻むビートに対して倍速で体を小刻みに揺らし、大笑いしながら嬌声を上げていました。
新曲「I’ll be there」で魅せつける、CHICの超・現役感
2015年3月。「CHICが新曲をリリースする」そう聞いたときは、かなり興奮しました。別にディスコは聴いていないと言っても、やはりCHICといえば一時期はけっこうしっかり聴いたものだったからです。
オフィシャルMVで初めて視聴したところ、なんと完全なるディスコ・オマージュ! 当時をそのまんま現代にもってきたかのような仕掛けにはひっくり返ってしまったものでした。
今回の来日公演のタイトルが「I’ll be there Tour」ということもあり、メインテーマといって差し支えないこの曲は、まさしく今回のツアーの冠となるにふさわしい名曲。
「ディスコ・シーンに捧ぐ・・・」ナイル・ロジャースの言葉を合図に、弾けるように広がるCHICの世界。
CHICの背後にあるスクリーンには、往年の音楽番組「SOUL TRAIN」を見ながら下着姿で女性が踊るCoolなミュージックビデオが映し出され、私たちの興奮を煽ります(下着に興奮しているわけではない)。
闘病生活の末にガンを克服したナイル・ロジャース、渾身のヒット・メドレー
ナイルは、ガンを患っていました。数年前に公表してからは、手術、闘病生活と、かなり過酷な日々を過ごしていたようです。
そしてこの日、ステージで彼が私たちに告げたのは、そのガンからの解放。すなわち、以前ガンに蝕まれた体で日本に来たときとは異なり、ガンを克服し、健康な体でもって再びこの日本に来ることができたことをファンたちに告白したのです。
「キャンサー・フリー!」と叫んで右手を挙げたとき会場からは一斉に歓声と拍手が贈られました。私もこれは、たまりませんでした。
彼の完全回復を祝福する思いから会場中にポジティブな雰囲気が広がり、そして演奏は続きます。
終盤、ナイル・ロジャースとベースのジェリー・バーンズがステージ最前列に並び、互いに演奏を見せつけ合います。突如、彼ら2人によるフリースタイル・ギグ・バトルの火蓋が切って落とされたのでした。
スクリーンに映し出される、格闘ゲームさながらの体力ゲージ。互いの迫真のプレーによって相手の体力を奪い合う、仁義なき戦いが始まります。
この演出は相当ウケました。なにしろ、ナイル・ロジャースがここ一番のハイテンションでギターを凄まじいカッティングで弾きまくるのです。
チャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカ、とかき鳴らすギターとともに、ちょびちょびちょびちょびちょびちょびちょびちょび削られていくジェリー・バーンズの体力ゲージ。
これはストⅡで例えるならば、画面の隅っこでエドモンド・本田の百裂張り手(強)を繰り出されガードして耐え抜こうとするものの張り手がエンドレスで続くため瞬く間に体力が削り落とされていくシチュエーションそのもの。
結局勝敗はよくわからんような状態でバトルは終演を迎えますが、観客も大盛り上がりでごさいました。
そんなエキサイトな空間のフィナーレを飾るのは名曲「グッド・タイムズ」。
私はこれを聴きにきたようなもんでしたので、やはり足元から頭のてっぺんにかけてサアーと鳥肌が広がりました。
ジュリアナ東京に傾倒したディスコ・ジェネレーションさながらにシェイクバディしていると、ここでサプライズです。
グッド・タイムズの間奏からそのままシュガーヒル・ギャングのラッパーズ・デライトに曲が繋がりました! これは興奮を隠せません。
しかもナイル・ロジャースが、あの冒頭のパンチライン「アセドヒップホップデヒッヒピトゥダヒッピッホブユドンスタッテロキトゥダベンベンブギセジャンパップブギトゥダリズマダブギザビー」や、コール&レスポンスを誘う「ホーテル、モーテル、ホーリデーイーン」をラッピン! もちろん私は合唱です。
しかし、大興奮の私をよそに周囲の反応はイマイチって感じでした。私はシュガーヒル・ギャングを先に聴いて、そのあと元ネタとしてCHICを聴いたという経歴の持ち主なのですが、この会場では少数派だったのかもしれませんね。
演奏が終わり、バンドメンバーたちも舞台袖へとはけてゆきます。
ああ、終わった。そう思ったものでした。がしかし、
帰らない。ナイルが、帰らないのです。
ステージの上を、満面の笑みで行ったり来たりしています。観客たちにくまなく目配せして、ありがとうを伝えています。
そしてなんと・・・
BGMで流れていた「I’ll be there」に合わせて、まさかのエアギター! ギターがあるのに、エアギター! すごい。しかも手元を見る限りは、その奏法は・・・
カッティングだ! カッティングしている!(絵では分かりませんが)
ニッコリ白い歯を見せて笑顔を振りまきながら、まさかのカッティング・エアギターです。
いやあ、やられました。そして本当に、いつまでも帰らないんです。サービス精神というか、日本のファンたちに深い感謝を伝えてくれてるんだと思いました。
おまけ〜ナイル・ロジャースの出生
ところでナイル・ロジャースはニューヨーク、マンハッタンのグリニッジビレッジ出身だそう。グリニッジビレッジというとアーティスト達が集い創作活動に勤しむ文化的な地区。そしてなんといってもハーレムの近所、すなわちアポロシアターがあるってわけですね。
で、ナイルの生まれ年は1952年。彼が青春時代を迎えたであろう70年前後といえば・・・
ジェームス・ブラウンがアポロでブリバリに劇場をロックしていた頃。やっぱり、観に行ってたのかなあ〜。
おしまい