フレッド・トーマス。
ブーツィ・コリンズが速攻で脱退した後のJB’sに加入し、71年以降のジェイムズ・ブラウン・ファンクを支えた熟練ベーシストだ。
ブーツィの大蛇のようにうねる躍動的なベースとは対称的に、低く深く、じりじりとした演奏が生み出すトーマス氏の低温グルーヴは、数多のファンク・クラシックを世に出した。
彼は今、自身のバンドを率い、ニューヨークを中心に活動している。
中でもブルックリンの住宅街にある「Freddy’s Bar」では隔週でライブを行っているため、早速足を運んでみた。
深夜0時を回ったあたりでライブスタート。バンドの編成はドラム、キーボード、サックス、トランペット、ギター、ベース。なんとサックスはキキさんという日本の方だった。途中、若いギタリストが飛び入りしたり、「叔父がジェイムズ・ブラウンと親しかった」という大柄の男性がマイクを取ってパワフルに歌い上げたりと、色とりどりの展開だった。
セットリストは全て記録できたわけではないが、Cissy Strut、Make It Funky、Tighten Up、Hot Pants Road、Papa Don’t Take No Mess、I Got You(I Feel Good)、Superbad、Turn It Looseなどなど、6割がジェイムズ・ブラウンやJB’sの名曲・代表曲、2割は他のソウル・クラシックス。
そして残りの2割は、スウィングジャズっぽい曲やルイ・ジョーダンのようなリズム・アンド・ブルースなど、40年代くらいの楽曲だった。面白かったのは、この緩やかな楽曲に合わせて観衆が次々に立ち上がってフロアに集まり、男女でダンスを踊り始めたことだった。
ダンスする観衆をよそに演奏は一気にファンクに回帰する。「Superbad」が始まってもダンスを続けようとするが、直線的でハイスピードなSuperbadでのリズム取りに苦労していたのは新鮮な光景だった。
観衆にしばしば目をやりながら、演奏を続けるミスター・トーマス。時折ボーカルやシャウトを入れながら観衆を煽る姿を見て、物静かなイメージだったので少し驚いた。
次々と曲が切り替わる中で、自分はすっかりファンクの渦に巻き込まれ、我を忘れて踊り狂った。
今日ここに来る前に「よからぬ考えを抱いてしまった自分」を、振り払うかのように。
前に進むということ
懺悔するが、恥ずかしながら、本当に恥ずかしながら、Bar Freddy’sに来る前、ミスター・トーマスの音楽は「同じ曲を演奏していて、前進していないんじゃないか」と思っていた。
「ファンクはもう、生きていないんじゃないのか」と、心の片隅で断じていたのだ。
しかし、それが酷く傲慢な思い上がりだということには、ライブを観てすぐに気付かされた。
「前に進む」ということの意味を、自分の狭小な視野の中で勝手に決めつけていた。
フレッド・トーマスは、バンドたちと一緒に熱量のある生きたファンクを演奏していたのだ。
至極当然ながら、録音されたレコードを再生するように同じものが流れるわけではない。彼らの手が、体が、呼吸が、その瞬間にしかない音楽を生み出している。
いい演奏ができる日もあれば、そうでない日もあるだろう。けれど2019年、彼らは今もジェイムズ・ブラウンの音楽を鳴らし続けている。
それはまるでフレッド・トーマス氏が生み出したファンクの、反復によって高まるグルーヴそのもののようだ。
生活のために演奏し、チップを得たら、次のステージへ。ジェイムズ・ブラウンとともに全世界を飛び回っていた頃と、きっと変わらない。ミュージシャンとしての生き様、その格好良さに胸が締め付けられ、ただひたすら感動するしかなかった。
そして自分の、なんと愚劣で矮小だったことだろう。音楽に変なウンチクや理屈づけを求め過ぎ、やれ「前に進んでいるかどうか」だの「懐古趣味じゃないのか」だのと偉そうに審判しようとしていた。懐古趣味に囚われていたのは他でもない、自分自身だったのだ。
彼らは軽やかに、鮮やかに、まさしく音楽そのもののように振る舞い、重くて煮詰まった、秘伝のたれのようなファンクをぶっ放している。そこにはノスタルジーに浸る「ダサいオヤジ」のようなオーラは微塵も無く、ただ美しく力強く、今を生きているのだった。
フレンドリーなレジェンド
フレッド・トーマス氏はこれまで何度も来日している。
私が最後に見たのは2015年のビルボード。このとき、縁あってミスター・トーマスと少し話すことができた。しかし激しく疲れていたのだろう、あまり機嫌が良くなさそうで、聞こえないほどの小さな声でボソボソと最小限の受け答えをし、あとはタバコをふかすのだった。
しかしこの日は、声をかけると「Oh, My friend〜」とニッコリ笑って拳を突き出してくれた。上述のような愚かな先入観をもってライブに来た後ろめたさもあって少し気後れしていたが、そのフレンドリーな笑顔にすっとリラックスさせてもらった。そして、用意してきたイラストに直筆サインを入れてくれたのだった(ペン先が滑ってハミ出してしまったが)。