ディアンジェロとジェイムズ・ブラウンの交差点
2019/04/03
ソウルの帝王ジェームス・ブラウンをサンプリングしたマンガ「ファンキー社長」のホームページです。
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こんにちは、JAYです。ソウルの帝王ジェームス・ブラウンをサンプリングしたマンガ「ファンキー社長」を描いています。
私はディアンジェロが大好きです。エリカ・バドゥやローリン・ヒルたちと共にネオソウルと言われるジャンルを拓いた、ブラックミュージック史においてとっても重要な人物。中でも彼の音楽は、酩酊したようなビートに乗せる怪しげなコーラス、恍惚的・官能的なファルセット、土臭さや埃をイメージさせるダーティなサウンド…紛れもなくFUNKそのものだからです。
彼は少年時代からのプリンスの熱狂的なファンであることを自認しています。さらにスライ・ストーン、マーヴィン・ゲイそしてジミ・ヘンドリックスというFUNKのオリジネイターたちの音楽に多大な影響を受けながら、ア・トライブ・コールド・クエストのアリ・シャヒード・ムハマドやQティップ、スラム・ヴィレッジのJディラ、ザ・ルーツのクエストラヴ、エリカ・バドゥやコモンなどとの出会いを経て、自身の音楽を育んできました。
彼の作品についてはこちらで書きましたので、よかったら読んでみてください。
FUNKといえば生みの親はミスター・ジェイムズ・ブラウンです。ディアンジェロも、彼の存在なくしてBrown SugarやVoodooといった名盤を生み出すことはなかったのではないでしょうか。
しかし、ディアンジェロの口からは「プリンスを崇拝している」「ジョージ・クリントンは全てに反骨した」「スライ・ストーンは素晴らしい」「マーヴィン・ゲイの魂を感じる」「ジミはファンク。そしてブルーズ」といった言葉はあっても、ジェイムズ・ブラウンの名前が直接出てくることは滅多にありません。
これはディアンジェロによる「Sex Machine」のカヴァーです。テンポゆっくりめで、ビートもオリジナルのようなタイトさはなく、グッと溜めたようなリズムになっています。私はこういうリズムのセックスマシーンは好きじゃないのですけど、とりあえず演奏したことはあるようです。
続いて「Ain’t It Funky Now」と「Funky Drummer」です。
これらのオリジナル曲は爆裂爆走音楽だったジェイムズ・ブラウンのFUNKが次第に低温化し、股間の辺りでグツグツと渦巻くような音楽に変化していく過程で生まれた曲なので、クールな音作りをするディアンジェロがカヴァーするにはもってこいの曲だと思います。どちらも非常にかっこいいFUNKになっています。
しかし実は、ディアンジェロはVibe誌でこのように述べています。
「ジェイムズ・ブラウンは、ある程度まではファンキーだったけど、彼のバンドはクリーンだった。アポロシアターでスーツにネクタイを締めて歌う…サムアンドデイヴ的な感じでね」
ほかのFUNKのミュージシャンに対して、ジェイムズ・ブラウンを「ある程度のファンク」「クリーン」と評します。これはどういうことなのでしょうか。
「俺は75%がビジネス、残りの25%がエンターテイナーだ」
ジェイムズ・ブラウンには、このような名言(?)があります。
彼の中では、楽曲を作ってレコーディングしたりショウを開催したりすることは、ほとんどビジネスマンシップに基づくものだった、というわけです。「ザ・ハーデスト・ワーキング・イン・ショウビジネス」というニックネームがあることからも、彼にとって音楽は芸術というよりも仕事(生存に一義的に関わる行い)であり、商品・サービスであったと。
そのポリシーは強烈なバンド管理へと繋がり、ミスをしたり時間を守れなかったりすると罰金を課せられるという苛烈な掟はその象徴でした(商品に対する徹底的な品質管理といえます)。バンドをまるで軍隊のように厳しく統率することで、あの超絶にタイトな演奏力を実現していたわけです。
破天荒だし即興性の高いライブをする人ではあれど、お客さんを魅了するために、その生産体制を徹底的に管理する。言い方は悪いですが、ある意味では製造ラインのようなものと言えるかもしれません。もちろん、最終的にアウトプットされる演奏は量産できるものではなく、その一回限りしか味わえないのは間違いないのですが。
アポロシアターでショウを行うとき、劇場の従業員にまで専用のスーツを用意したというジェイムズ・ブラウンのエピソードがあります。ディアンジェロがそれを知っていてかどうかはわかりませんが、彼はそういう伝統的な形式に沿った態度や、企業のようにルールでがんじがらめにした生産管理を「クリーン」と表現したのかもしれません。彼にとってジェイムズ・ブラウンは「型」の人だったのかも。
ジェイムズ・ブラウンの音楽は激しくタフではあれど、高品質を維持するためクリーンだった…言い換えると、ダーティではなかった。
ディアンジェロが影響を受けたと公言しているのは「Dirty Mind」というアルバムをリリースしたこともあるプリンス、それから存在そのものにダーティな雰囲気の漂うスライ、そしてジョージ・クリントン、マーヴィン・ゲイです。マーヴィンはまあ、ダーティというより闇…ダークって感じがしますけど。
彼らはまた、音楽に対する姿勢がジェイムズ・ブラウンとは異なりました。無論、ビジネス0%というわけではありませんが、それでもジェイムズ・ブラウンのスタンスと比べると圧倒的に「アーティスト」の振る舞いだったと思います。
1999年12月の「blast」誌で、小林雅明さんによるディアンジェロのインタビューが掲載されています。非常に良い内容になっていますので、古本などで見つけた人はぜひ入手して読んでみてください。
そこで彼は「音楽はただの商品じゃない」と言っています。「他の産業と違って、時間に対する生産量が決まってるわけじゃないだろ」つまりレーベルやら世間やらの外的な要請によって設けられた納期の中で作るものではなく、延々と納得のいくまでつくるものだと言っているわけです。
事実、彼はアルバムのリリースに長い時間を要するし、彼が制作しているスタジオは洞窟と呼ばれるほどに外界から遮断された空間なのだといいます。
(↑めちゃくちゃ最高なライブ動画。JUNYA WATANABEのTシャツを着ています。初めて見たときは一瞬、なんか日本代表のユニフォームでも着てんのかと思いました)
こうして、彼は自分の音楽から徹底的にビジネス性を排除しました。そして作り出したのがBrown Sugarと、さらに大傑作のVoodoo、Black Messiahです。2作目と3作目の間、実に14年のブランクができたのも、音楽の商業性に嫌気がさして薬物に溺れ、事故を起こして大怪我、暴飲暴食の果ての肥満化など、破滅的な道に逸れてしまったからでした。
盟友Jディラの死をきっかけに自分を取り戻し人間関係を回復、ステージに復帰しましたが、彼にはそれだけの時間が必要だったということです。これが「稼がなきゃ!」っていうタイプの人だったら、安易に過去作の模倣に走って及第点な3作目をリリースしていたかもしれません。
というわけで、ビジネス的な視点からいうとディアンジェロは限りなくルーズなのでした。
エリカ・バドゥたちとディアンジェロをシーンのセンターに引き上げた敏腕マネージャのキダー・マッセンバーグ(後のモータウン社長)とコンビを解消したのも、彼のルーズさが理由だったと噂されるほどです。
しかしディアンジェロは商業の呪いに取り込まれることなく、自分のペースで作品を世に出し、そのたびに世界中を悶絶のるつぼへと引き込んでいるわけです。
さて、ルーズ(Loose)といえば「時間にルーズ」「ルーズな服装」など、どこかだらしないニュアンスで使われることが多いですが、辞書を引くと「ゆるんだ」「固定されていない」「だぶだぶの」…という意味のほかに「解き放たれた・自由になった・逃れた」という意味があります。
ここで紹介したいのが、松尾潔さんによるジェイムズ・ブラウンのインタビューです。こちらの記事ではインタビューが実現するまでの過程などもかなり詳しく描かれていて、非常にスリリングです。ぜひ、一読されることをおすすめします。
ちなみにこの本、ディアンジェロ「Brown Sugar」のライナーノーツも収録されています。こちらも必読です。
話を戻して、ジェイムズ・ブラウンのインタビュー。
代表曲のひとつ「Funky President」について、当時のアメリカ大統領に関して悪いニュースばかりが流れてくる状況を前向きに突破していこうというメッセージを込めて「困難を克服して人びとを先導していく、それがファンキー大統領です」とジェイムズ・ブラウンは述べました。
で、松尾さんが「あなたにとってFUNKYとは?」という質問を投げかけます。
それに対するジェイムズ・ブラウンの答えです。そのまま引用します。
「ファンキーとは幸せであるということを別の表現に置き換えたものです。L・O・O・S・E。解き放つこと、ゆったりすること。自由なんです。仕事や学校に行くときはファンキーじゃいけませんけどね」
面白いですよね。そう、LOOSEとは、幸せであることだと表現しています。そして仕事に行くときはファンキーではダメ…つまりライブ中のジェイムズ・ブラウンは、LOOSEではダメだと考えていたとも言えそうです。
公民権法も成立していない1933年に南部ノースカロライナ州の極貧の家庭に生まれたジェイムズ・ブラウンにとって、仕事は生存手段そのものでした。客引き、靴磨き、ボクサー…音楽も、これらさまざまな仕事と同じ生存手段だったのです。
ジェイムズ・ブラウンが言っているのは、仕事をタイトにこなして金を稼いで、幸せ(LOOSE)になろうぜ、ということ。
彼の有名曲に「Give it up or Turn it loose」という曲があります。諦めるか、ルーズになるか。諦めずに幸せになろうぜ、気持ちよくなろうぜ、っていうことですね。
一方で、ディアンジェロは「すでに」ルーズなのです。
彼はヴァージニア州リッチモンドにある牧師の家庭に生まれました。祖父の代から牧師だったそうです。幼い頃から教会が身近にあり、本人もスピリットに関わるさまざまな体験をしています。
2012年GQのインタビューを、翻訳家の押野素子さんが翻訳したものがまとめられているので紹介します。
GQの元記事はこちらです。
また、アポロシアターで優勝した18歳で学校(高校か大学)を中退したそうなので、少なくともジェイムズ・ブラウンのような「公平な教育を受けていない」という苛烈な環境ではなかったはずです。ジェイムズ・ブラウンが生まれた時代・地域とは人種差別の度合いも違いますから、生存への切迫感も違うと思います。
以上の理由から、ディアンジェロは即物的な欲求よりも精神的な欲求を重視する傾向があったのでしょう。
「僕はカネのために音楽をやっているわけではないから、誰もお金をくれなくてもやっぱり音楽をやっていくと思う」
「音楽をただの商品としてしか見ていない。アートだという理解がなくなってきていると思うね。ほとんど、工場の流れ作業のようなものだよ」
「blast」誌のインタビューではこうも話しています。
ジェイムズ・ブラウンとディアンジェロは、LOOSEという概念を境目にして正反対の方向を向いて音楽にアプローチしています。
そして面白いのは、その双方が結果として、既存のブラック・ミュージックに革命を起こし、ソウルミュージックを拡張したということですね。
ジェイムズ・ブラウンはLOOSEになるためにFUNKをつくり、ディアンジェロはLOOSEであるためにネオソウルと呼ばれるFUNKをつくったのです。(本人は自分の音楽がネオソウルという枠組みに入れられることにはネガティブですが)
というわけで長くなりましたがジェイムズ・ブラウンとディアンジェロを比較してみたというお話を終わります。
まあ、いろいろ言いましたがディアンジェロはこのようなジェイムズ・ブラウン直系の演奏もやっていますし、2015年のボナルージャズフェスティバルの演奏も超絶ファンクですし、冒頭で挙げたJBのカヴァーも素晴らしいため、リスペクトは絶対にあるんですけどね。
さて、2014年に「Black Messiah」がリリースされ、早5年が経ちました(本記事執筆は2019年)。ディアンジェロは2018年末、ロックスターのTVゲーム「レッド・デッド・リデンプション2」に新曲「UNSHAKEN」を提供したことが少し話題になりましたね。
とても薄暗く、不穏な雰囲気は最高ですが、ゲームのマカロニな世界観に合わせたものですね。演奏メンバーを見るとクエストラヴやピノの名前はありません。なんとなく、ディアンジェロの今後の方向性を占うような作品ではないように思えます。
ディアンジェロは多分、今後はもうオーセンティックなFUNKやヒップホップのほうには回帰しないような気がします。ギターにもっとハマりこんでいくんじゃないでしょうか。
そういえば、2016年に来日したディアンジェロがライブの開始時間を40分以上遅らせたのは、来日してから出会ったジミ・ヘンドリックスのギターを控室で弾きまくっていたからだとか(参考:吉岡正晴のソウル・サーチン「なぜディアンジェロの開演は43分遅れたのか」)。
個人的な予想ですが、これまでのアルバムにはスペイン系の音色が入った曲が入っており、ギターやソウルとの相性、今のトレンドからも、ラテン音楽により傾いていくのではないかと思っています。
そうなれば非常にかっこよくて全く新しいラテンソウルが生まれるはず。まあ、ラテンじゃなくてもどう転んでもいいので、次のリリースが待ち遠しいですね。今の彼の感じを見ると、もう10年待たされるということは無さそうな気がしますので、ほどほどに期待して待つことにしましょう。