ソウルの帝王ジェームス・ブラウンをサンプリングしたマンガ「ファンキー社長」のホームページです。

今のご時世だからこそ観たい映画『私はあなたのニグロではない』

      2018/06/09

スポンサーリンク

 

こんにちは、JAY(@f__kinjay)です。ソウルの帝王ジェームス・ブラウンをサンプリングしたマンガ「ファンキー社長」を描いています。

先日、映画『私はあなたのニグロではない』の試写会に参加しました。

『私はあなたのニグロではない』は、今は亡きジェームズ・ボールドウィンというアメリカの黒人作家による記録をもとに作られた映画で、公民権運動のリーダーであるキング牧師、マルコムX、メドガー・エヴァーズの3名にスポットを当てながら差別、暴力、公民権運動のありようを実際の映像や当時の音楽とともに映し出した作品です。

私はあなたのニグロではない

監督はラウル・ペック氏。かつてベルギーの植民地だったコンゴを独立へと導いたパトリス・エメリー・ルムンバのドキュメンタリー「ルムンバの叫び」を世に出すなど人種差別や黒人の権利に対して強く訴えかけている方です。

 

この作品をどう捉えるか

映画の内容は観ていただければと思うのですが、こうしたアメリカでの人種差別の歴史は重すぎて、映画を観終わったあと私は簡単に自分ごとに置き換えできませんでした。「じゃあ、自分は?」という視点に立つと、どうにも言いようのない気持ちになってしまう。

しかし、ただひとつ「向こうの国の話でしょ」で済ませておくものではないことは、確かだと思います。たぶんこれは、この作品を観たら分かると思います。

ひとつの例ですが、以前話題になったブラックフェイス問題で、「日本に人種差別は無いから目くじら立てなくてよくない?」とか「悪意があったわけじゃないからいいでしょう。むしろ敬意」とか「これで批判が広がればハマダ差別になる」とか、さまざまな擁護的意見が出ていました。が、これらが的外れというか当事者的に見てまかり通る意見じゃないことは、すぐに理解できると思います(もちろん、黒人の中には寛容だったり気にしていないというスタンスだったりの人もいるでしょうが、国際感覚として)。

また、今回の試写会でゲストとして登壇されたモーリー・ロバートソンさん、ふだんトークショーなどでは酒が入って権威的な発言がけっこう多い印象でしたが、ここでは「本当に日本に人種差別が無い、といえますか? 北朝鮮有事の際に、国内で差別による暴力が起きないと言えるのか」と言っていました。

私が感じている範囲では、この疑問はややヌルくて、現実にはすでに「起きていない」とは言えない状況です。磯部涼さんが執筆された「ルポ川崎」を読んでいただければ、それは一目瞭然です。

いや、モーリーさんの認識の度合いの話をしているわけではなく、言いたいのは日本には人種差別があるということです。

映画の冒頭で、アメリカ南部のとある市長が「黒人が学校にいたら嫌だ」ということを公の場で発言し、それが支持を受けるという衝撃的なシーンがあるのですが、これを聞いて「なんか日本でも最近似たようなこと言ってる公職者がいたな」と気づく人も多いはずです。新聞に載るような事件もいくつか起こっています。

あんま言いたくないですが私の祖父もある人種を明らかに差別しておりましたし、そういうことを物心ついた頃から聞かされていると無意識下で影響を受けることは避けられません。

アメリカ黒人が受けてきた差別の歴史は日本の問題とは全く異質なものですが、それでも、この映画の受け止め方のひとつとして「自分の周りに置き換えて考える・行動する」というのは大事だと思います。

 

社会的な問題と個人の性格・性質

私はこういうこと考えたり書いたりするときって、葛藤というか少し気の迷いが出るんですよね。その理由は、自分が、こういう問題と向き合えるほどちゃんとした人間じゃないからだと思ってるからです。

たぶんですけど自分は偏見も多い性格だし、頭だけで「差別はよくない」と表面的に考えてるだけなんじゃ…という気がするんです。本当に、のっぴきならない状況下でも自分の考えを態度(アティチュード)として貫けるのか?はなはだ疑問です。

吉田ルイ子さんの名著「ハーレムの熱い日々」で、あるエピソードが描かれています。人種差別に反対するリベラルの立場からさまざまな行動を取ってきた、ルイ子さんの当時の夫であり白人のロバートさんが、とある出来事で黒人に対して激しく怒りを感じ差別心をあらわにしたことがありました。つまり教養あるリベラルの人であっても、普段は理性で無意識下に留めていただけで、本心では差別心を抱いていたわけです。

ルイ子さんはロバートさんをはじめとする白人のリベラル層による反人種差別への取り組みを「白人のエリートイズム」「自己憐憫であり優越感の裏返しでしかないのだ。あくまでも「あたま」と「からだ」が分裂してしまっている」と、厳しく指摘しています。

私も同じように「あたま」と「からだ」が分裂してる気がする。いつも、そうした気持ちを持っています(ここでこういうこと表明しちゃう時点で自己憐憫、自己弁護…)。

だから、反レイシズムという意思って、確信的に自己を肯定できなければ表明しづらいんじゃないかと思うんです。

たとえば自分で自分のことをダメ人間だと思ってる人は「俺みたいな自己中のダメ人間が反差別なんて綺麗ごとだ」って思うかもしれない。

不倫をしている人は「不倫しておきながら差別は許せないなんて、言う資格ないよな」って思うかもしれません。

そういう気持ちって、人によってはあると思うんですよね。だからレイシズムなどの問題には触れずにいる、という人も多いのでは。

だけど結局、個人の性格とかは育った環境に起因しますし誰に対しても完全無欠の態度を取ることはできません。先に述べた「頭だけの理解」である可能性を拭えない人だってたくさんいるはず。ただ、そうした個人個人の足りなさを補っていけるのが人との関係性なんじゃないでしょうか。一人だけで考えるのではなく、サポートし合い、ときには議論し、意見を言い合えばいい。

自分が完全でないことを悩むことはないと思います。自分だって無自覚に差別をしているかもしれない。してるだろう、というつもりで自分を疑うほうが姿勢としては良いかもしれません。

完全無欠の人格者でなければ「資格がない」のか? アメリカに住んだ経験があったり黒人の友達がいたりしなければ「資格がない」のか? そうではないはずです。

 

コミュニティと共に前に進む

作中ではポップス、カントリーなどの白人の音楽、そしてジャズやソウル、ヒップホップなどあらゆるアメリカの音楽が流れます。

私はファンク、ヒップホップなどが好きなんですけど、これらの素晴らしい音楽が生まれた背景にはとても興味があります。

それは、これらのカッコイイ音楽をただ単に消費するだけではしょうがない。その歴史や文化を少しでも知るために学ぶことが必要ではないでしょうか。

そして学べば、さまざまなことができるはずです。

先に述べた「個人の足りなさを補う、周りとの関係性」…お互いを支え合うこと。

冒頭で述べた「人種差別を自分の国のことに置き換え、問題を見つめる」…地域の問題を議論し、良くしていくこと。

こういうことを考えていたところに、ちょうど最近ラッパーのケーダブシャイン氏がトークイベントで「ヒップホップはカンパッション(ポジティブな意味でのあわれみ・思いやり)の文化」「ヒップホップは『シーン』ではなく『コミュニティ』」ということを発言されていて、自分の思っていたことにピッタリとはまったということがありました。

いわゆるブラック・ミュージックが好きなら、やっぱり単なる消費者ではなく、敬意…それも口だけの敬意ではなく、心からの敬意を持てるようにしたい。

敬意って、能動的にしか示せないもんじゃないですか。心の中で思ってるだけでは、伝わりにくいというか。思ってるなら何かしらに現したほうがいい。

だから学ぼう、学びます、その気持ちがあるなら一人じゃないから、コミュニティを見つけて(または作って)少しずつでいいから前に進んでいきましょうというのが、私の言いたいことでした。こういうご時世だからこそ余計に意識したいです。

ヒップホップとかジャズとか、ソウル、ファンク…他にもいろいろありますけど、音楽が好きな方にはぜひとも観ていただきたいと思う作品でした。

「私はあなたのニグロではない」は2018年5月12日より全国で順次公開です。

 

おまけ

このへんなども見ておくと、わかりやすいかもしれません。

 - FUNKコラム