こんにちは、JAY(@f__kinjay)です。ソウルの帝王ジェームス・ブラウンをサンプリングしたマンガ「ファンキー社長」を描いています。
2017.11.05
ファンキー社長まとめ読み【1話〜10話】
第1話「ファンキー社長の就業規則」 第2話「ファンキー社長の社歌斉唱」 第3話「ファンキー社長の...
アメリカ南部の旅日記もついに最終回。
(第1回はこちら ・ 第2回はこちら ・ 第3回はこちら ・ 第4回はこちら)
旅の最後の目的地、オーガスタ。ジェイムズ・ブラウン氏の育ったこの街で、彼のバンドに在籍していた白人ギタリスト、キース・ジェンキンスに会えるのか。長いので、時間があるときにゆるりと御覧ください。
ゴルフの聖地でありド田舎でもあるオーガスタの街
9月21日。私の南部旅行最終日です。翌22日の午前2時に夜行バスでアトランタ空港へ向かって、この旅はおしまい。
午前11時ごろにオーガスタに到着したので、ここから翌2時までの約15時間が、最後の自由時間です。
バスを降りると、さっそく驚きました。
バス停の建屋は、他の都市と比べて非常にボロかったのです。
「田舎とは聞いていたが、かなりのものかもしれない…」
高層マンションやホテルなどはどこにもありません。教会が唯一大きな建物です。
例えるならアトランタは新宿、メンフィスは渋谷、そしてここオーガスタは、ちょいと離れて西東京みたいな感じでしょうか。
タクシーも、どこにも走ってません。そのかわり、怖い感じの人も全然おらず治安は良好そうでした。
さすがはオーガスタ、ジェイムズ・ブラウンゆかりの地!
まずは向かったのは、ジェイムズ・ブラウン大通り。彼の死後、この名が付けられたそう。
あった。
続いて、ジェイムズ・ブラウン・スタチュー(銅像)。
あった。
次は、ジェイムズ・ブラウンの葬儀が行われたという、ジェイムズ・ブラウン・アリーナ。
あった。
中には入れず。係の人がきたので「何かジェイムズ・ブラウン氏に関する展示はないか」と聞くと、「Nothing(何もない)」との冷酷な回答でした。
続いて、ジェイムズ・ブラウン氏がラリって銃を乱射しカーチェイスの末に逮捕されたと言われるサウスカロライナ州との境の橋を見に行きました。
あった。たぶん、写真の奥に見える橋ですね。
お次はオーガスタ歴史博物館。
あった。
ここにはなんと、ジェイムズ・ブラウン氏が生前着用したという衣装、レコードの原盤など貴重な資料が展示されています。
しかし展示室は月〜水が休みで、その日も休み…。まあ、調べていたのでわかってはいたんですが。
せっかく来たしと、試しに館の扉を押してみました。
…開いた。
奥で売店だけが営業していました。何かグッズがあるかも! 期待して入店したところ…
何もない。見事に、何もありませんでした。ゴルフ関連の土産ばかり(オーガスタはゴルフの名門)で、本当に、ただの一品たりとも、ジェイムズ・ブラウン氏のグッズはありませんでした。
レジのおばちゃんに声をかけました。
「ジェイムズ・ブラウン氏の展示を見に日本から来た。展示場には入れないかな?」
「無理ね。またいつかオーガスタにいらっしゃい」
「ジェイムズ・ブラウン・バンドのキースさんに会いに来たんですよ」
「わーお! そうなの。でも展示場には入れないわ。ところで、日本からの土産は無いの?」
なんと、土産をせびられる展開となっていました。
ひとまず「ファンキー社長」のマンガを渡すと、「クゥーール!!」と喜んでくれたので、持ってきた分をドサっと渡しました。ぜひ来訪者たちに配っていただきたいですね。
私の後ろにはちらっと「歌うジェームス・ブラウン人形」が置いてあります。
結局、展示室には入れませんでした。まあ、相手は売店のおばちゃんですから仕方ないですね。
壮絶なまでのヒマさ。酒に溺れるほかなく、時は過ぎ行く・・・
時計を見ると13時ですが、キースからは一向に連絡がありません。
深刻だったのは、オーガスタのヒマさでした。
「まじで、することがない」
とにかく田舎。観光スポットなどが軒並み閉館しています。私はひたすら「ここがジェイムズ・ブラウン氏の育った土地なんだ…」という感慨にふけるしか、することがありませんでした。
とつぜんゲリラ豪雨が降ってきたので、バーへ避難しました。良かったのは、オーガスタは昼から飲める店が充実していたことです。
キースからも連絡なく、ヒマさに打ちのめされた私は飲むことにしました。
酒! 飲まずにはいられないッ! 2杯目以降は安くなるというのでグラスが進みます。
ひたすら飲みました。うん、うまいぞ!
そして7時間近く飲んでいたのち、19時ごろ。
ジェイムズ・ブラウン氏が行きつけだったというステーキハウス「T-ボーン・ステーキハウス」に行くことにしました。
歩いては行けない距離なので、バス停に行ってタクシーを呼んでもらいました。
タクシーを待っていると、キースから返信がありました。
キースからのメールで、ハンバーガーを鬼の一気食い!
「今日、20時からメトロカフェでライブをやるから、よかったらおいで」
彼のいう「メトロカフェ」は、私が飲み散らかしていたバーのすぐそばでした。
時刻は19時。ステーキハウスへの往復を考えるとギリギリの時間でした。
タクシーに乗って、T-ボーン・ステーキハウスに到着。この店の奥のテーブルにジェイムズ・ブラウン氏はいつも座っていたそうです。サイン付きのTシャツなどが飾られていました。
ほんとはTボーンステーキを1ポンドたいらげたかったけど、時間がないのでハンバーガーを一つだけ頼み、それをガッと食べてすぐに退店しました。
そして、キースと合流。敗北感も消し飛ぶ、至上のもてなし
20時ちょうどにメトロカフェに到着しました。よかった、まだライブは始まっていない。
カウンターで一杯飲もうとすると、誰かが私の肩を叩いて話しかけてきました。
「ねえねえ! キミ、昼間そこのバーで飲んでたでしょ?」
なんと、日本語です。
「!? はい、飲んでました!」
思わず日本語で返します。
「そのバーと、このメトロカフェはさ、どっちも俺の店なんだよ〜!!」
「俺はケニー、日本人とのハーフで9歳まで札幌に住んでたんだ! JAY、今日はキースのライブを見に来たんでしょ? キースから話は聞いてるよ〜」
なんと! 私が飲みまくったバーは、この日本人ハーフのケニーのお店でした。
「今日、JAYは特別なお客さんだからさ。好きなだけ、お酒飲んでっていいからね!」
そう言って彼はバーカウンターの店員に私を紹介し、オゴっていただけることに。
代わる代わる自己紹介をしてくれる、ケニーの友人たち。
「俺の嫁さんは日本人なんだぜ!」「ジェイムズ・ブラウンが好きで来たんだって? なんてクレイジーなんだ!」「あっちの店にも連れてくよ、ジェイムズ・ブラウンのために作られたバーがあるんだ」
次々と、心温まる言葉をかけてくれます。そして友人たちの向こう側に、ギターを持って歩いてくる人影が。
「キース!!」
キースは口元にわずかな笑みを浮かべて、握手をしてくれました。
「よく来たなァ、とりあえず乾杯しようぜ」
そしてバーカウンターに連れられます。
キースは酔っていました。
「まだライブまで少し時間あるから、こいつらと一緒に『ソウル・バー』へ行って来いよ」
先ほどの友人たちと、メトロカフェから歩いてすぐのところにある『ソウル・バー』へ。ここは、ジェイムズ・ブラウンに捧ぐというコンセプトで作られたバーだそう。
「俺はここでJBとビリヤードやったことあるぜ!」
「飲んでると、歌ってくれたりもしたよ」
なんともまあ、地元ならではの羨ましい話ばかり。
しかしこの連中、見れば見るほど「この街のイケてるコミュニティ」感が感じられました。男女別け隔てなく仲良くし、オシャレや音楽に身をやつし、ちょいと悪さもするけど道は踏み外さない、翌日が仕事ならば無理せずほどほどで退散…という、よくできた感じのオトナって雰囲気です。
旅の最後のサザン・ホスピタリティ
メトロカフェに戻ると、キースのバンドがステージに立っていました。
「今日は、日本からトモダチが来てくれた! ジェイムズ・ブラウンのマンガを描いてる、JAYだ!」
ステージから紹介してくれました。
そして、この一曲!
あ、ありがたや〜〜。正直いうと、リズムがちょっとタルいのですが。
周りを見ると客はほとんど白人で、セックス・マシーンのあとは演奏もロック寄りになりました。そうか、わざわざ私に合わせて演奏してくれたのか…。
演奏を終えたキースに声をかけてみたんですが、お互い酔ってたからか言葉が通じず、会話が噛み合いませんでした。
インタビューができず残念でしたが、まあいいやと飲んでワイワイ騒いでいるうちに、深夜の1時を回っていました。
「明日仕事だからそろそろ!」と、いつの間にか友人たちも去っていて、オーナーのケニーも、イカツイ男と何やら真剣な顔で話し込んでいます。
バスの時間も近づいてたので、キースとケニーに挨拶をし、千鳥足でバス停へ。
旅は終わり、帰国の途に
バスにのって夜明け前にアトランタへ到着、そのまま空港へ向かいます。2日連続の車中泊で、かなりの体臭と口臭。皮膚も髪もアブラまみれで疲労困憊です。
飛行機の中では、ずっと寝ていたように思います。
わずか4泊ですが、異様に濃厚でした。旅の目的はだいたい果たすことができ、敗北感もあったけど満足感も得られました。
というわけで、長きに渡る旅日記はこれにておしまい。長い文章にお付き合いいただきありがとうございました。
おしまい