第1話「ファンキー社長の就業規則」【元ネタ解説】

読みもの

 

ここではネタばれというかネタばらしとして、マンガの中で使っている元ネタについてちょっとお話しします。今回は第1話「ファンキー社長の就業規則」についてです。

ジェイムズ・ブラウン就業規則

 

 

ジェームス・ブラウン氏の本名はJames Joseph Brown Jr.(ジェイムズ・ジョセフ・ブラウン・ジュニア)。成人後にはこの「Jr.」をとって、James Joseph Brownを本名としました。

森のなかのオンボロ小屋で生まれ、私たちの感覚からではなかなか想像ができないくらいの極貧だったといいます。すぐに両親と離れて親類が経営する売春宿で暮らすことになり、綿花摘みや靴磨きなどで生計を立てていたそうです。

自伝「俺がJBだ!」によると、その頃のハードな環境を生き抜く過程で、自分自身の判断に頼り切る能力が身についたということを述べています。どんな逆境や危機にも屈しない彼のタフなメンタルは、こうした少年期のサバイバル経験の中で養われたのですね。

 

恐怖の「罰金制度」

「ザ・ハーデスト・ワーキング・マン・イン・ショウビジネス(ショウビジネス界で一番の働き者)」と呼ばれたジェームス・ブラウン氏ですが、バンドメンバーたちにも非常に厳しい態度を取ることで有名でした。

その中でも特に知られているのが、バンドメンバーに課せられた「罰金制度」。

ジェームス・ブラウン率いる楽団…ジェームス・ブラウン・レヴュー(マンガの中で「Review」と表記していますが、実はこれ誤表記で、正しくは「Revue」です。この場を借りてお詫びと訂正をいたします)の面々は、さまざまな規則に従うよう命じられていたのです。

たとえば、遅刻や服装の乱れ、演奏のミスなど。

メンバーが演奏中にミスをすると、ジェームス・ブラウン氏はまるでパフォーマンスの一環であるかのようにステップを繰り出しながらメンバーに近づき、バッと手のひらを上げます。開いた指は5本…それが「罰金5ドル」の合図だったというのです。

給与から差し引かれた罰金はショウのあとの打ち上げに使われたといいますが、メンバーからしたらタマラナイ掟だったに違いありません。こうした厳格な制度が、あの統率の取れたファンクや緊張感あふれるリズムを生み出している一因なのでしょう。

 

年間の公演回数、330回!?

ジェームス・ブラウン氏の公演はピーク時にはなんと年間330回を超えたと言われています(マンガでは「就業規則」の欄に書いていますが、実際にそんな決まりがあったわけではありません)。

遠方への巡業はメンバー・スタッフ・機材の移動を伴うため莫大な予算が必要です。メンバー自身も体力的にすごくキツいでしょうね…今ほど移動手段も充実していないでしょうし、道路も整備されてなかったと思います。車だってエアコンが効かないとか狭っ苦しいとかシートが固いとか、想像すると鳥肌が立ちますね。

そんなわけでどんなバンドもメンバーみんなで一緒に巡業できたわけではないのです。車に乗れなかったメンバーの埋め合わせは現地でスカウトしたりしてたとか。

ジェームス・ブラウン氏の楽団も同様に現地でメンバーを雇ってライブをするというスタイルを取りながらも、できるだけ自前メンバーでの巡業ができるようにしていたようです。別に珍しいというわけでもないですが、自前のツアーバスも持っていました。それゆえに圧倒的なレベルの演奏を披露し続けることができ、観衆の心を掴んで離さなかったのです。

ただ、それを年間330回もやっていたと考えると…ちょっと想像を絶しますね。予算もハンパじゃなかったでしょうから、肉体的にも経済的にも、まさしく命がけです。バレないように少し力を抜いて演奏してたりとか、そんなこともしてたのかなあ。

 

ボスとメンバーたち

メンバーはギャラの支払いを受けられなかったり、受け取れたとしても金額に満足行かなかったり、さまざまな軋轢があったようです。ケンカ別れというケースも少なくなく、バンドメンバーの入れ替わりはけっこう激しいですね。ちょっと数えてはいないのですが、ジェームス・ブラウン氏のキャリアの中で楽団メンバーとして関わった人の総数は100を超えているんじゃないでしょうか。

一度離れながらもまた舞い戻るメンバーもいました。いろんなバンド見ていると決して珍しいことではないですが、でもそのときどきに、彼らの中には強い葛藤や苦しみがあったんだろうなあ、と…自伝などを読んでいるとそうしたドラマが垣間見えて、一人ひとりの決断と行動にグッときたりジーンときたり。

2015年5月30日公開の「ジェームス・ブラウン〜最高の魂(ソウル)を持つ男」でも、たぶんそうしたドラマが描かれているんじゃないかなあと、そう思っています(本記事を書いている時点ではまだ公開されていません)。

参考文献

 

 

 

JAY

JAY

1984年生まれのファンク・マンガ・ライター。ソウルの帝王ジェイムズ・ブラウンを元にした「ファンキー社長」をはじめ、ファンク・ヒップホップをサンプリングした4コママンガを描き続けています。漫画アクションで「ファッキンJAYのマイルド・スタイル」を連載中。

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