ファンキー社長

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JAY、アメリカ南部を走る!【3】メンフィスの終わらない夜

      2017/08/22

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「ファンキー社長」の作者JAYがアメリカ南部を長短期で走る! 旅日記の第3回。

 

第1回はこちら ・ 第2回はこちら

 

今回は、メンフィスの体躍る夜の、お話。大変長いので、時間に余裕のあるときにどうぞ。

 

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マーティン・ルーサー・キング牧師の倒れた地で、痛恨の失敗

 

メンフィスのダウンタウン、特に有名な「ビール・ストリート」は24時間そこかしこに警官が駐在しており、わりと安心して楽しめる街。ストリートから響く爆音のミュージックは、ホテルに向かうタクシーの窓ガラスの奥にいる私の耳にもビリビリと届いた。

ホテルの部屋に荷物を置いて、休憩もそこそこに私は街へと繰り出した。ビール・ストリートから15分ほど歩いた先には「ロレイン・モーテル」公民権運動を先導した、マーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺された宿屋(今は博物館に)がある。まずは、そこが目的地だ。

先に述べたように、ビール・ストリートを中心としたダウンタウンは警官が多数駐在して安全と言えるが、しかしメンフィスといえば一方で治安の悪さも名高いものがある街だ。2012年FBI統計資料によると全米5位の犯罪率を叩き出す、極悪な土地という顔も持っている。

ロレイン・モーテルへ向かう道は人通りも車通りも少なく、晴れ渡った青空とは裏腹にどこか不穏な雰囲気を醸し出していた。

 

キング牧師が暗殺されたロレイン・モーテルへの道中

誰にも利用されていないとおぼしきホテルや商店などの廃墟が並んでいた。中には営業中のものもあるが、全体的に人の気配が少ない。

 

マーティン・ルーサー・キング牧師のストリート

キング牧師を称え名付けられた「キング牧師通り」

キング牧師通りをまっすぐに歩いた先に、ロレイン・モーテルがある。

いくら憧れの地メンフィスとはいえ、まるで土地勘のない私だ。むろん手ぶらで出歩いていたわけではなかった。利口なことに、私はグーグルマップを見ながらロレイン・モーテルに向かっていたのだ。

グーグル・マップは便利極まりない。私のような極度の方向音痴であっても、目的の地に案内をしてくれるのである。

グーグル・マップが「これがロレイン・モーテルである」と指し示したとおぼしき建物へとたどり着いた。写真の右手の建物である。

右手がキング牧師の暗殺されたロレインモーテル跡博物館・・・ではなかった

 

いざ入らんとして戸に手をやると、むむ、開かない。

建物をぐるっと回ってみる。「寄付をお願いね」旨の張り紙がある。ふう〜ん、みなさんのご助力のおかげで運営がなされているのだな、と理解できた。

しかし一向に、博物館をやっている様子はない。窓にはカーテンがかかっており、中の様子が伺えない。照明が灯されているようにも見えず、どうにも休業中の様相を呈していた。

 

「ええい、休館か」

 

建物周辺を見たところで、そう確信した私は大いに嘆き、その場を跡にした。

しかしそれは、大きな過ちであった。痛恨なることに、私がグーグル・マップを見てこれだと思ったのがは実は目的の博物館ではなく、そこから通りを挟んだ向かい側にある建物こそ、まさしく国立公民権運動博物館であったのだ。それは、あとでタクシー運転手のアル・ムハマドに聞いたところで発覚した。「博物館が休館?そんなはずはない。向かいの建物だよ」

旅の日程上、公民権運動に関わる土地への訪問を諦めた私にとって、ロレイン・モーテルだけは訪れておきたかったスポットだっただけに、この失敗は本当に堪えた・・・

 

ビール・ストリートで酒と音楽を嗜む。旅がようやく始まった

 

メンフィスはビール・ストリート入り口

ビールストリートに戻ると、西日も強くなってきていた。通りを歩いていると、客引きのオジさんが日本語で「コンニチワ!」と。知ってる日本語はそれだけだったようだが、聞けばポークリブが美味いしライブもやる、というので入ってみた。

 

 

メンフィス一軒目

 

 

頼んだのは「ディープ・フライド・ポークリブ」

初のソウル・フード

 

ようやく! ソウル・フードにありつけた! もちろんビールも注文。

 

ああ、うまい! バス代を捨てたことや、わけわからんチンピラに5ドル持って行かれて裏切られた気分だったこと、そしてキング牧師の博物館が閉館(この時点ではそう思っていた)していたことなど心の中にズンとのしかかっていた敗北感のカタマリを、さまざまなハーブ・スパイスで濃く味付けされたサクサクの衣とともに噛み砕く!

そして空腹にビール! ガツン!  腹が躍る! ようやく、ようやく私の旅が始まったのだ!

 

1人感慨に浸りつつガツガツと搔っ食らっていると、隣の酔っぱらいが「お前、それはポークリブだな?美味いのか?」と聞いてきたもので「イエス」と言うと、彼はさっそく注文していた。

 

こうした酒場などでは、たまに「どこから来たのか」と尋ねてくる輩もいた。

「日本だよ」と言うと、「何しに来た?」と返してくるので、それに対して私は2つの答えを用意していた。

「ジェームス・ブラウンが好きで、彼の生きた土地を見たいと思って」

 

もしくは

 

「南部の食文化に関心があって。ソウル・フードを食べに来たんだ」

 

である。

しかし、存外・・・この2つの答えを伝えても、リアクションの多くは「フーン」程度であった。やっぱり本場とはいえ、誰もがソウルやファンクが好きということもないらしい。

ソウル・フードに関しても同様のようで、この「ソウル・フード」という名称そのものも、いわゆる我々日本人が使う「国民食」みたいな意味ではなく、料理のジャンルの一つであるらしかった。

ビールを飲み干して、次の店へ。

お約束の場所ではあるが、2015年5月に逝去したB.B.キング、彼が所有していたバーに入ってみた。ここは店内100席ほどの広いミュージック・バーになっていて、私が入ったときは若いアマチュア・バンドが演奏していた。入口では5ドルのミュージックチャージを支払った。

 

アル・グリーンを熱唱

 

客入りはまばらだった。なにしろ時間はまだ19時、日も沈まない時間帯だったので当然といえば当然であろう。

ステージでは若いバンドがアル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」を演奏していた。しかし、歌は決して上手くはなかった。さらに、リズムに身が躍るということも無かった。ステージ脇には2人だけのチークタイムに突入した老年カップルがステップを刻んでいた。

「音楽に乗れないのは疲れてるしシラフであるせいだろう」と前向きに解釈した私は、さっそくここでも酒をあおってみた。飲んだカクテルは、量も濃さも日本並みだが8ドルくらいで約1000円。グビリと飲み干したところで、私が全く存じあげないカントリー・ミュージックの類をジャカジャカ演奏し続けるものだから、飽きて立ち去ることにした。

 

深まる夜。止まることなく響く、魂の音楽

 

ストリートは本当にミュージックバーと土産物屋のみで形成されていて、そこかしこから演奏が響いて賑やかしいが、ここはブルーズの聖地であるとともにロックンロールの聖地でもあり、あまりロックンロールには関心がないものだから、胸躍る音楽は半々であった(ブルーズの延長上にロックがあることは了解しつつも)。

 

お次はブルーズ・バーに入った。

そこではボブ・マーリィのような髪型をした兄ちゃんと、割と好青年ぽい兄ちゃんとがフロントに立つブルーズ・バンドが演奏していた。演奏も良いし、染み入る。歌もさっきの若いバンドよりも上手いではないか。

 

IMG_5370

ボブ・マーリィ風の兄ちゃんは右下、手すりに隠れている。

ここでも酒を飲む。けっこうアルコールが薄く、カパカパと進むので3杯くらいいってしまったのではないだろうか。

演奏が一段落すると、彼らはバケツを持って客席を回る。客がある程度盛り上がったところでおひねりを頂戴するという、一種の習わしのようであった。私はとりあえず1ドル入れた。

外に出ると日も暮れて、ガイドブックなんかでよく見るビール・ストリートの姿になっていた。

これからがメンフィスの本番

 

道路では爆音でDJをやっていて、ファレル・ウィリアムスの「ハッピー」がかかっていた。超絶オシャレなラティファ的黒人ママ2人がそれぞれの幼い子どもを音楽に合わせてハグしたりキスしたり頬ずりしたり抱っこして持ち上げたりしている様が、本当にハッピーを感じさせられた(まあ家族のなんでもない1シーンとも言えるので写真は控えた)。

音楽以外にもパフォーマンスなどで小銭を稼ごうとしている連中もあり、通りはまるで祭りのように賑わっていた。

 

ブルーズだけではない。幸いにしてソウルをやっているバンドも

 

さて、街の中央部には広場と簡易ステージがあった。

IMG_5375

 

ここでは80年代前半のソウルっぽい演奏をしているバンドがあった。ボーカルは巨漢で、周りの踊り狂いぶりを見るとこの周辺ではけっこうなプロップス(賞賛)を受けているのではないかと推察された。

広場はあたかもダンスフロアと化しており、そこではリズムに合わせて多くの黒人たちが感情をダンスで表現していた。

 

ソウルバンドの演奏

 

その周辺を白人の観光客が囲んで一緒になって楽しんでいるという構図だったが、この中では唯一と思われる東洋人なる私はダンスフロアに足を踏み入れて適当に体を動かしていた。

すると、ボーカルが観客に呼びかけた。観客のうち何人かが広場の中央に並び出す。

何がどうなるのか、英語の聞き取れぬ私にはわからなかったが、後ろにいたオバサンに「あなたも行って来なさい」的な笑みで背中を押され、このようなシチュエーションになった。

これは映画「ワイルド・スタイル」でファンタスティック・フリークスとコールド・クラッシュ・ブラザーズがストリートバスケのコートで対峙しているあの様を想像していただけると分かり良いかと思う。

 

※参考「ワイルド・スタイル」0分17秒くらいから当該シーンが御覧いただける。

WILD STYLE Basketball Throwdown from Sir Joe on Vimeo.

 

そして相対して並んだ男5名と女5名が、男→女→男→女・・・といった具合に、順番にダンスを披露していくのである。

 

ファンキー社長03

ファンキー社長04

※実際には私は身体が異常に固いため、股は180度どころか60度程度しか開かないので無様なものであった。

 

ダンスの得意な者がいなさそうで特にプレッシャーも感じること無くジェームス・ブラウンをマネたステップを披露し、想像以上の歓声が上がったことに気を良くして割れもしない股を割って擬似スプリット(開脚)を披露したところ、アホのような盛り上がりを見せたのであった。

みなさん、東洋人には優しいのだろうか。決して、冷笑的なものではなく温かな歓声を贈ってくれた。

その後、1人の黒人男性が近づいてきて声をかけてきたので面白いことになるかなと思ったのだが、違法な何かを売ろうと持ちかけてきただけであったので、いなすことにした。こういう誘いはそこかしこ、間違ってもホイホイ付いていってはならない。

 

〆は再びBBキングのお店で

 

次はどこぞに入ろうかと思っているところ、先ほどのB.B.キングのお店がずいぶん賑わっているようであったので再度入店することに。店の看板バンドが演奏中で、今度はミュージックチャージを7ドル徴収された。

演目はブルーノ・マーズの「アップ・タウン・ファンク」であった。会場は大盛り上がり、ステージ前では狭いダンスフロアを聴衆が狂ったように踊り楽しんでいる。

 

BBキングバンド

 

そのあと、曲名はわからないがよく知っている曲を2曲ほどやったあとに、プリンスの「パープル・レイン」などバラードでシメてゆく。かなり酒を飲んでいたせいで最後の曲を忘れてしまったのだが、私も非常に好きな曲の演奏が始まったためたまらずダンスフロアへ向かい、狂った聴衆たちに溶け込まんとす。

するとまあ、びっくり。狂った聴衆たちの半分は、私と同じ東洋人、それも日本人ではないか。

 

どこにいっても、お祭り騒ぎが好きなものなのかしらね、と思いながら、私も肉体を全力でシェイクさせた。

 

メンフィス初夜は終わり。翌日はなんとアル・グリーン牧師の教会へ

 

もうじきミッドナイト・アワーに入ろうというところ。私はホテルに戻ることにした。

明日は日曜日。朝、とても大切な予定があった。それは、私がメンフィスくんだりまでやってきた理由でもあった。

そう。かの伝説的ソウル・シンガー、アル・グリーン氏。彼が牧師を務めている教会の、日曜礼拝に参加するのである。

とはいっても事前情報がまるで無く、当日にアル・グリーン牧師がいるのかどうかもわからない。もっと言えば何時頃から礼拝が始まるのかも知らない。

タクシー運転手のアルもムスリムだから礼拝の開始時間はあんまり分からないということで「9時くらいに行けばいいんじゃない?」というアドバイスを受け、ならば早起きせねばということで、夜更かしをやめたのだ。

ホテルに戻ったのは23時過ぎ。ビール・ストリートのほうに耳を澄ますと、耳に心地よいブルーズのアンサンブルが止むこと無く響き続けていた。

第3回はここまで! 次回は、アル・グリーン牧師の教会へ・・・果たして謁見なるか。つづきはこちらから

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