ファンキー社長

ソウルの帝王ジェームス・ブラウンをサンプリングしたマンガ「ファンキー社長」のホームページです。初めての方は1話から読んでみてください。

【ネタばれ】第11話「ファンキー社長の社員旅行」

      2015/11/07

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ここではネタばれというかネタばらしとして、マンガの中で使っている元ネタについてちょっとお話しします。今回は第11話「ファンキー社長の社員旅行」についてです。

 

 

ジェームス・ブラウンは自家用ジェットを持っている

 

 

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ツアーバスと飛行機によるビッグ楽団ツアー

 

 

第11話は、ファンキー社長の社員旅行と銘打って、南部エリアを東から西に横断するというお話でした。

 

 

しかし現実はフィクションより怪なり。ジェームス・ブラウン楽団は全米をツアーで巡ってますので常に社員旅行状態、しかもこのマンガよりもキツい行程だったのではないでしょうか。

 

バスツアーでチトリン・サーキット

 

自分は自家用ジェット機、部下はバス。ブーツィは気に入られていたのでよく飛行機に乗せてもらったという話がありますが、搭乗中は延々とブラウン氏の御説教を喰らい続けねばならぬため、ほかのメンバー達はバスのほうがマシ! ってな感じだったそうです。

 

 

 

ブラウン氏はファンクにおける一拍目の重要性(The One)について機内でブーツィにとくとくと語ったといいます。The Oneてのはジェームス・ブラウン氏が提唱した「一拍目がとにかく重要で、二拍目以降はわりと自由でいい」・・・みたいな理屈のこと。この一拍目の強調こそがファンク独特のノリを生み出しているのだといいます。

 

しかしこんな説教を延々と密室で聞かされるなんて・・・自分に置き換えて考えると、ウッときますね。いや、そりゃあもちろん1ファンとしてブラウン氏本人から一拍目の重要性を説かれるということであれば、それは身に余る光栄かつ家宝なる経験と思うのですが、ブーツィの立場ですと毎日顔を合わせているファンキーな鬼上司なわけですから・・・

 

 

わたしの立場(サラリーマン的なもの)で解釈すると、こんな感じですかね。

 

 

上司「いいか、良い仕事をするためには「PDCA」という4つのプロセスが欠かせない。そのうち最も大事なのが1つ目・・・すなわち「The P」だ。

 

 

この「The P」はこれから何をやろうとするかを決める計画(Plan)のこと。こいつにとにかく全神経を注げ。そこからすべてが生まれる。最高の「The P」が出来たなら、あとの3つ(DCA)は割とどうでもいい・・・」

 

 

これじゃあぜんぜんダメ上司ですね。ちなみにDは「Do(実行)」、Cは「Check(評価検証)」、Aは「Action(改善)」です。

 

 

伝統的なドサ回り巡業「チトリン・サーキット」

 

チトリン・サーキット(Chitlin’ Circuit)とは、アフリカ系アメリカ人のミュージシャンやエンターテイナーたちが南部を中心に(もちろんフィラデルフィアとかニューヨークとかにも行きます)次から次へとナイトクラブやライブハウスを回って演奏するドサ回り巡業のことです。

 

チトリン・サーキット2

 

チトリンの由来は南部のソウル・フードの定番、豚の小腸を煮込んだシチュー「チターリンズ(Chitterlings)」。この料理自体は奴隷制度が存在していた時代、白人が自分たちの食べない部位(豚でいうと背肉、鼻、耳、首の骨まわり、豚足、腸)を黒人に与え、それを黒人がどうにか美味しく食べようと工夫をして生まれたものだそうです。

 

 

巡業でミュージシャンたちが訪れるナイトクラブの多くでこのチターリンズが提供されたということから「チトリン・サーキット」と呼ばれるようになったという説があります。

 

 

アメリカにおいてこのチトリン・サーキットは古い歴史をもっていて、遅くとも19世紀前半にはミュージシャンたちの間で広がり、1960年を過ぎるまで伝統的に受け継がれてきました。

 

 

19世紀〜1960年ということは、奴隷制度が存在していた時代、そして南部における黒人分離政策である「ジム・クロウ法」が施行されている時代に行われていたということになります。

 

 

当時の状況はなかなか想像がつきませんが、やはり「投獄や暴力、死と隣り合わせ」のハードな状況下での巡業だったものと考えられます。その中でスターダムにのし上がることのできた者もあれば、また逆に夢半ばにしてステージに立つことを許されなかった者達もあったということですね・・・。

 

 

プライベートジェット機

 

 

ジェームス・ブラウン氏が移動手段に自家用飛行機を使っていた話は有名です。型番はN805LJで自分の名前入り。パイロットはダグ・ベルさんという方だったようです。

 

自家用ジェット

 

 

 

彼より先に自家用ジェットを購入したオーティス・レディング(南部のレーベル「スタックス」の売れっ子歌手)は、その自家用機が墜落しわずか26歳の若さで亡くなってしまいました。

 

 

ジェームス・ブラウン氏は自伝で「オーティスの自家用機が墜落してしまったのは機体の小ささも一因」といった主旨の叙述をしています。以前から自家用機を扱うリスクについてはオーティスに示唆していたそうです。

 

 

JBとは関係なくなりますが、オーティス・レディングは亡くなったすぐあとにリリースされた「The Dock of the Bay」が自身最高のヒットを記録。イントロでの港にいるような雰囲気の音色はオーティスがレコーディングした時点では入っていなかったそうで、彼は楽曲の最終形を知る前に亡くなったといわれていますが、しかし彼は「The Dock of the Bay」が自分自身の新しい扉を開き、大きなヒットを飛ばすことができるという強い手応えを感じていたということです。

 

 

今までのオーティスのスタイルとはまるで違う感じなので、レーベルからは反対されたとか聞きました。なんだかジェームス・ブラウン氏に似た感じの状況ですね。

 

 

話を戻すと、ジェームス・ブラウン氏が購入したジェット機は当時の価格で750,000ドルだったといいます。当時は固定為替相場制で1ドル360円くらいだったと思いますので、計算すると・・・270,000,000円(におくななせんまんえん)。

 

 

恐ろしいことに、ブラウン氏は後に2機目の自家用機を購入します。単純に「足」として当時で5億円分ものお買い物をしているということです。

 

 

ひゃ〜。まさに桁違いですね。

 

 

おしまい

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