ファンキー社長

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【ネタばれ】第10話「ファンキー社長の誕生日」

      2015/11/07

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ここではネタばれというかネタばらしとして、マンガの中で使っている元ネタについてちょっとお話しします。今回は第10話「ファンキー社長の誕生日」についてです。

 

 

ファンキー社長の誕生日

 

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社員のみんながファンキー社長の誕生日をサプライズでお祝い!

 

 

これはジェームス・ブラウン氏の誕生日が近かったため描いたものです。

 

 

氏の誕生日は公式では1933年5月3日とされています。

 

 

1928年誕生日説?

 

 

オーサカ=モノレールの中田さんのブログ記事で触れられていますが、音楽評論家の故・桜井ユタカさんがJBのライナーノーツにて「1928年生誕説」に触れられているということです(不勉強なもので、私はその現物をまだ見てません…)。

 

 

また、稲川淳二氏・みうらじゅん氏「笑う洋楽展」においても1928年生誕説について触れられています。

 

 

ほかに、MCのダニー・レイさんやJB楽団の歌姫マーヴァ・ホイットニーさんもジェームス・ブラウン氏の年齢が公式のものと違うかも? ということに対してコメントしているのを見たことがあります。

 

 

芸能人の年齢詐称なんてよく聞く話です。先輩芸能人とかとの人間関係の設定上とか、グラビアに出るから若いほうが都合がいいとか、理由はさまざまありますでしょう。たぶんジェームス・ブラウン氏の場合も、同じようにショービジネス的な都合から年齢を詐称したのでしょうか。

 

 

それも大いにあると思います。でも、それだけでなく、ちょっと考慮しておきたいことがあります。

 

 

1930年頃のアメリカ

 

 

ジェームス・ブラウン氏が生まれたという1930年前後。世は世界恐慌のまっただ中です。1933年に民主党からフランクリン・ルーズヴェルトが大統領に就任し「ニューディール政策」を実施。世界恐慌によるアメリカの不況に歯止めをかけようと試みていました。

 

 

世界恐慌がアメリカに及ぼした影響は甚大でした。白人よりも一層の劣悪な雇用環境にあった黒人の失業率は実に50%を超え、白人の約2倍であったとも言われています。

 

 

のっぴきならない経済不安を抱える一方、ニューヨークはマンハッタン区にある黒人居住区Harlem(ハーレム)を見てみると、南部より移動してきた黒人たちによる文化的な萌芽である「ハーレム・ルネサンス」が隆盛し、黒人は白人に付き従うものという歴史的に刷り込まれてきた価値観からの脱却(もしくは反抗)を目指す動きが活性化していました。のちの公民権運動にも大きな影響を与えたと言われています。

 

 

ジェームス・ブラウン氏が伝説的なショウを行ったあのアポロ・シアターも、ちょうどこの頃から黒人のアーティストたちが中心となってショウを行い、黒人の文化的発信地として絶大な人気を集めるようになりました(それ以前は白人の興行中心)。

 

 

つい最近、日本人ソウルシンガーのNao Yoshiokaさんが準優勝という快挙を成し遂げた同劇場の伝統的な看板イベント「アマチュア・ナイト」が始まったのも、同じ時期(1934年)です。

 

 

しかし、こうした文化的な興隆は当時の黒人たちの暮らしを差別や貧困から守りうるものではありません。黒人に対するリンチ(暴行・殺害)や不当逮捕、公共サービスや飲食店、教育の隔離など、「ただ生きる」ことすら困難な環境の中で、その文化を生み出していました。

 

 

そんな背景を踏まえて考える、ジェームス・ブラウン氏の出生

 

 

映画「ジェームス・ブラウン〜最高の魂を持つ男〜」を観られた方はお分かりになるかと思いますが、ジェームス・ブラウン氏の生まれはサウスカロライナ州の森のなかにあるオンボロ小屋です。

 

 

映画では電気も通っていない小さくて汚くて「家」とも呼べないような建物でしたが、自伝などでの描写と照らし合わせると、これは誇張ではなく限りなくリアルな再現なのではないかと思っています。ハンパなくドギツイご両親の様子も含めて・・・

 

 

 

少年期に母親は家を出ていきます。そして父親は軍役へ(この当時、軍に志願することで多少マシな生活が保障されたということから、貧しい黒人を中心に軍役に服することを選択することが多かったようです)。ジェームス少年は、売春宿を経営していた親戚のおばさんの家に預けられることになります。

 

 

こうした氏の壮絶な少年期と、当時のアメリカの現実を踏まえると…これは私の個人的な推測ですが、本当の誕生日がわからない、ということもあるのでは…と思いました。こうしたことを考えるのは大変浅はかで余計なことなのかもしれませんが。

 

 

出生届のような書類を出していたか、もしくは、本人が親と離れる前に自分の生年月日を聞いていて記憶していたのかもしれません。真相はいずれにしても、これほどまでに過酷な環境の中で、幼い頃に親元を離れたジェームス・ブラウン氏が自身の誕生日をどのようにして認識していたのか…そう考えると、胸が詰まるような思いになります。

 

 

 

最後に、この文章を書くにあたってとても参考にさせていただいた書籍を紹介します。時代は1930年代からは外れますが、1960年代〜のアメリカを黒人目線で捉えた吉田ルイ子さん著「ハーレムの熱い日々」。黒人たちが想像を絶するような現実と対峙しながら力強く文化を生み出しアイデンティティを取り戻していく様子などをありありと感じることができます。

 

 

おしまいです。ダラダラ長いのをお読みいただきありがとうございました。

 

 - ファンキー社長の編集室