ファンキー社長

ソウルの帝王ジェームス・ブラウンをサンプリングしたマンガ「ファンキー社長」のホームページです。初めての方は1話から読んでみてください。

【ネタばれ】第2話「ファンキー社長の社歌斉唱」

      2015/12/10

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ここではネタばれというかネタばらしとして、マンガの中で使っている元ネタについてちょっとお話しします。今回は第2話「ファンキー社長の社歌斉唱」についてです。

ファンキー社長の社歌

 

初めにことわっておくと、メンバーたちに社歌を斉唱させるというのはフィクションです。

 

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Say it loud I’m black and I’m proud(セイ・イット・ラウド・アイム・ブラック・アンド・アイム・プラウド)

 

作中でファンキー社長と社員たちが歌っているのは「Say it loud I’m black and I’m proud(セイ・イット・ラウド・アイム・ブラック・アンド・アイム・プラウド)」という曲。そのタイトルの通り、黒人であることの誇り、アイデンティティを歌ったものです。

 

 

同曲はキング・レコードより1968年にリリースされました。作曲は当時のバンドリーダーであるアルフレッド・ピーウィー・エリス氏によるもので(マンガには未登場)、ビルボードのR&Bチャートでは1位、ポップチャートで10位となる大ヒット。

 

 

従来の楽曲よりも各楽器の絡みやリズムがシンプルながら規律の存在を感じる独特な印象を受けます。なんだか行進曲のような感じというか。

 

 

歌唱部分は、子どもたちの声との掛け合い(コール・アンド・レスポンス)が中心となっています。レコーディングを行ったロサンゼルスのスタジオ近辺、ワッツ地区、コンプトン地区の子どもたちを数十人呼び集め、レコーディングに参加させました。中には白人の子どももいたという話もあります。このへんのエピソードは現場感が感じられて面白いですね。

 

 

彼は1967年にリリースした「America is my home(アメリカ・イズ・マイ・ホーム)」で白人迎合だとして強い批判を受けたそうです。本人にしてみれば「自分の言いたいことがみんなに正しく伝わらなかった」みたいな感はあるでしょう。融和的な姿勢を取ると白人迎合と言われるし、強固な姿勢を取ると分離主義的だと言われるしでジレンマがあったのだと思います。

 

 

こうした流れもあって「Say it loud〜」は自分自身の姿勢を正しく示し聴衆に改めて知ってもらいたいという気持ちも込められてたのではと思います。この曲で黒人の連帯を歌ったジェームス・ブラウン氏は、この後白人ファンが激減し、自身の音楽活動に大きな影響を及ぼしたと語っていますが、しかしそれでも彼はその姿勢を、それ以降も貫くこととなります。

 

激動のアメリカ〜1968年〜

 

 

では1968年とはどんな時代だったのでしょうか。

 

 

まず国際情勢は、ベトナム戦争のまっただ中でした。ベトナム戦争とは米ソの冷戦期に起きた「代理戦争」の一つで、資本主義勢と共産主義勢によって南北に分断されたベトナムが、アメリカとソ連の「代わり」に戦地となって引き起こされた戦争です。ベトナムには資本・共産それぞれの陣営から軍が派遣され、実に10年以上にもわたって戦闘が続いたとされています。

 

 

現地や周辺国の基地には多くの米兵も派兵され、ジェームス・ブラウンは彼らの基地を回って慰問する大規模なツアーを敢行しています。当時の黒人(というよりミュージシャン全体?)の活動としては、ベトナム戦争に関わる慰問を行うというのは非常に稀有な例だと言われています。

 

 

一方、アメリカ国内ではどうだったのでしょう。

 

 

ジェームス・ブラウン氏と1968年を絡めて話すにあたって絶対に外せない出来事は、マーティン・ルーサー・キング・Jr牧師の暗殺です。

 

 

キング牧師は、非暴力による黒人差別反対運動を推進し多大な影響力を持つようになっていました。公民権運動に主導的な役割を果たし、1963年には人種差別に反対する人々が実に20万人も集まったというワシントン大行進を実現しました。

 

 

キング牧師が暗殺された日・・・1968年4月4日。その翌日の5日にジェームス・ブラウン氏はボストンでのライブを予定していました。

 

 

ボストン市長から直々に中止要請を受けるジェームス・ブラウン氏。しかし、ここでライブを中止することが逆に暴動を呼ぶと判断したジェームス・ブラウン氏は市長を説得しライブを決行。キング牧師の悲劇について、落ち着いて連帯を図ろうというメッセージを、ライブのステージでじっくり時間をかけて説きます。(この模様は「Live At Boston Garden: April 5, 1968」に収められています)

 

 

結果、ボストンでは暴動が起きることはなかったということです。

 

 

ちなみに日本ではその年、メキシコオリンピックに盛り上がっていたり(このオリンピックでも人種差別が大きな問題となるのですが、ちょっとここでは割愛します)、3億円事件が起きたり、週刊少年ジャンプが創刊したり・・・ということがあったようです。

 

 

社訓「金なくして自由なし」

 

 

マンガではオフィスの壁に「金なくして自由なし」の言葉を貼り付けています。しかし実際にはそれをモットーにしていたとか、そういう事実はありません。

 

これは1974年ザイールのキンシャサで開催されたボクシングの試合(モハメド・アリ対ジョージ・フォアマン)の前夜祭に出演したジェームス・ブラウンらミュージシャンたちのドキュメンタリー映画「ソウル・パワー」にて、ジェームス・ブラウンが話していた言葉をそのまま引用したものです。

 

 

ちょっとオマケ的にマンガに登場させてみました。

 

 

2話に関してはこんな感じですね。少しでもジェームス・ブラウンやアメリカ黒人の歴史などについて知っていただけたら幸いです。

 

第2話「ファンキー社長の社歌斉唱」

 

 

 - 元ネタ解説