ファンキー社長

ソウルの帝王ジェームス・ブラウンをサンプリングしたマンガ「ファンキー社長」のホームページです。初めての方は1話から読んでみてください。

同年比較でよくわかる!ジェームス・ブラウンの楽曲はココが違う

      2016/11/01

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ファンクが生まれたとき、もちろん同じことをやってる人は他に誰もいなかった

 

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ジェームス・ブラウン氏はソウルの帝王と呼ばれるとともに、「FUNK(ファンク)」という音楽ジャンルの生みの親であるとも言われます。

 

 

ファンクは、厳密に言うと単なる音楽ジャンルに限られるものではないのですが、そのへんの話はまたそのうち。

 

 

さてこのファンク、当時はめちゃくちゃに革新的だったと言われますが、今となっては「ファンキー」という言葉は日本でもカタカナ英語として十分に浸透していますし、鈴木雅之さんとか久保田利伸さん、スガシカオさんなどが素晴らしいポップスに昇華したことで「ノリのいい感じ」だったり「ぶっ飛んでる感じ」みたいなニュアンスはみなさん何となくお持ちなのではないでしょうか。

 

 

ということで! ここでひとつ、ファンクが誕生当初どれだけセンセーショナルな音楽だったのか、というのを、当時のヒット曲と比較して見てみましょう。「ジェームス・ブラウンって変な人!」なんて感想でもいいんです。是非、そのパイオニア精神を知ってもらいたい!

 

ファンク誕生の年〜1965年〜

 

 

この年、ジェームス・ブラウン氏のヒット曲「Papa’s got a Brandnew Bag(パパズ・ガット・ア・ブランニュー・バッグ)」がリリースされました。この曲によって、ファンクというスタイルが確立されたといいます。

※それより前にリリースされたOut of Sight(アウト・オブ・サイト)をファンクの誕生とする考え方もありますが、とりあえず今回は1965年で話します。

 

こちらを聴いてみてください。最初に歌っているのが「パパズ・ガット・ア・ブランニュー・バッグ」です。

 

 

この曲がビルボードのR&Bチャートで約2ヶ月間、トップを飾りました。曲の進行はいわゆるブルースみたいな感じなのですが、破裂するかのような瞬発的風圧を感じるホーン、切れ味鋭くカットされたギターなどはリズム感が強烈に前面に押し出されています。まああんまし専門的なことはわからないんですけど。はは。

 

 

では次に、同年R&Bチャートでトップを飾った他の曲たちを覗いてみます。

豆知識ですが、1963年11月〜65年1月までビルボードのR&Bチャートはおやすみしていたそうです。今回は2月以降の情報を参考にしています。

 

 

マイ・ガール / テンプテーションズ

アイ・キャント・ヘルプ・マイセルフ / フォー・トップス

 

いかがでしょう。全然、雰囲気違いますね。

 

 

このポジティブで明るい感じの曲調は1965年当時に全盛期を迎えていた「モータウン」と呼ばれるレーベルが得意としていて、R&B・ソウル界を席巻していました。

 

 

「モータウン」が本社を置いていたデトロイトは、アメリカで最も自動車製造が盛んな街でした。GMやフォードの本社があったり(正確にはフォードは少し外れたとこ)、トヨタの現地法人もあったと思います。

 

 

自動車の街モータータウンを略してモータウンという愛称で呼ばれ、それがレーベルの名前になったということです。

 

 

モータウンがソウルに与えた影響ははかりしれず、「ドリームガールズ」やら「永遠のモータウン」やらの映画でもその軌跡を知ることができます。

 

 

しかしモータウンのあるデトロイトは北部の街です。対してジェームス・ブラウン氏のメインステージは南部。

 

 

広いアメリカです。北海道と沖縄でもあれだけ文化が違うのですから、北部と南部では全く音楽が異なります。

 

 

では同年の南部のヒット曲も聴いてみましょう。

 

 

リトル・ミルトン / ウィアー・ガナ・メイク・イット

ウィルソン・ピケット / イン・ザ・ミッドナイト・アワー

 

 

いずれも素晴らしい歌声、ほとばしるパワーを感じさせてくれるノリノリな楽曲ですね。さっきのモータウンの曲よりも荒々しく土臭さがあります。メロディラインも表情豊かですが、やはり「パパズ〜〜」とは明らかに違いますよね。

 

 

ジェームス・ブラウン氏が「パパズ〜〜」を歌ったとき、同じようなことをしている人は世界中どこにもいなかったのです。

 

 

タイトルを直訳すると「パパは新しいカバンをゲットした」ですが、そのココロは「おれが新しいやりかた(ファンク)を持ってきてやったぜ!」ということなんだそうです。フワァーー、かっこいい!

 

 

さいごに

 

演奏のタイトさ、メロディの乏しさ、キャッチーさよりもタフさ。完全に素人である私にも、ここまで異質だとわかるジェームス・ブラウン氏の音楽、ファンク。

 

 

氏の楽曲は1964年ごろから68年ごろまで、ほんと似たような曲が多くって、でもどれも少しずつ違って、1年経つごとに洗練されていくその様を聴いていると

 

 

「ああ、ジェームス・ブラウン氏はもしかしたら、ファンクという音楽の形が自分の奥底にはもうすでに見えていて、その答えに辿り着くまでにずーっと試行錯誤を繰り返しているのかもなあ」

 

 

とか、想像したりしてしまいます。(まあ現実には、手早くリリースを繰り返して資金を得る必要があったとか、そういう事情なのかもしれませんが・・)

 

 

で、ここまで異質でキャッチーさに欠けるこのファンクという音楽。生まれるやいなや全米を席巻する大人気の音楽となり、その生みの親であるジェームス・ブラウン氏は伝説と化すほどに多くの人々に支持されるようになりました。

 

 

しかしキャッチーではないものが市民権を得るなんて、私が覚えている限りでは「歌の大辞テン」という番組でラルク・アン・シエルの「侵食」という曲が上位に入ったとき、工藤静香さんが「こういうキャッチーじゃない曲調のものが上位に入るのはスゴイ」と言っていたときくらいしかありません。

 

 

いったいなぜ、ジェームス・ブラウン氏の音楽はこれほどまでに多くの支持を集めることができたのでしょう。

 

 

それは、またの機会に是非ここで書くことにしたいと思います。

 

 

お読みいただきありがとうございます。グッゴッ!

 

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